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GSの消滅、そして復活 2003.02.10改訂


セイコーは、'70年頃には、スイス製高級品(具体的にはオメガ・コンステレーション)と互角かそれ以上の高精度機械式時計を完成させていたと思われます。戦前のお粗末な国産時計の水準から考えると、戦災を乗り越えて、スイス以外の他の国の誰もができず、試みようともしなかっただろう、「オメガと対等な時計の量産」を達成したセイコーの偉業は、トヨタやニコンのそれと対等であると言えましょう。

ただし、ロレックス・オイスターパーペチュアルのような、実用的に見て浸水の可能性がゼロのケースの採用には至っていなかったようですね。この課題は、後年の復活GSで解決されました。

想像なんですが、全国津々浦々の時計店で調整・修理ができない、完全防水ケースを導入すると商売に支障が出たのではないかと思われます。当時の時計店は、販売よりも修理でメシを食っていたようですから、修理の仕事がなくなっては大変です。セイコー自身のサービスセンターも、VFAやダイバーウォッチといった特殊品の調整・修理に応じることができる程度の規模で、仮にGSが全数メーカー修理になったら、処理能力が追いつかなかったのではないでしょうかね。

KSの例ですが、外部から緩急針を操作でき、文字盤側から中を開ける防水ケースが52KSで導入されましたが、これはその辺の問題を踏まえてのことでしょう。GSにこの種のケースが使われなかったのは何ででしょうね?なお、KSの「外部緩急調整機構」は、下手な職人に壊されている例が多いようです。

セイコー機械式の最高級品としてのGSは、70年代後半には全く売れなくなり、ひっそりと消えて行ったようです。カタログから落ちたのは76年ですが、その前年の75年には、クォーツ時計がGSよりかなり安い3万円台まで下がってきたので、完全に時代遅れになってしまった、ということでしょうね。GSが、市場から惜しまれつつ消えて行ったのではないことは、機械式時計が見直される'80年代後半まで、田舎の時計店にGSのデッドストックが多く残されていたことから分かります。


一方、セイコー自身が幕を開いた腕時計のクォーツへの移行ですが、当時は、機械式よりクォーツの方が優れた時計とされ、機械式より高い価格をつけて売られていました。

セイコーが、クォーツの時代のGSとして、気合を入れて開発したのがグランドクォーツです。今の貨幣価値で言えば、20万円以上の感覚でしょうか。スペック上は、今のGSクォーツより高精度の年差5秒のモデルまであります。確か、シチズンにはそれ以上の公称精度のモデルさえありました(当時の価格が200万ですから、実際に売れたとは思えません).。セイコーは、今まで機械式のGSをサラリーマンの初任給以上の値段で販売できていたように、グランドクォーツをそういった値段で売ることができるはず、これでセイコーの経営は磐石と考えていたはずです。

しかし、年差5秒の時計にお金を出す人より、急激に廉価になって行った普通のクォーツ時計(月差15秒程度)を選ぶ人の方が多いのは当然のことで、グランドクォーツはいつしか消えてしまいました。宝飾時計を志向し、デパート等に販路を絞ったクレドールが発売されたのはこの時期ですが、精度でお金を取れなくなった時代に合わせてのことでしょう。

その後、クォーツ時計の売れ筋になった、薄型・長電池寿命(無電池)のムーブメントというのは、今のGSクォーツとは正反対のものです。消費電力を極限まで抑え、薄型の電池や機械で動き、電池が長持ちするようにするには、徹底した軽薄化が必要ですからね。針は紙より薄くなり、更に重さを減らすために短くなりました。

私自身、就職記念に薄型・2針・月差20秒?のクレドールを買いましたから、当時の時流にどっぷり浸かっていた訳です。当時のセイコーの路線ももっともだったわけです。当時は、薄いほど高級な時計というイメージがありましたから、周囲から「君の時計は薄いねえ。たいしたもんだね」と誉められましたし、自分でも自慢でした。


その後、セイコーの内外で、本当に美しい時計とは何か?やはりGSの路線ではないか?という反省が生まれ、思いきって企画した新生クォーツGSが市場に好評裡に迎えられ、年々ラインアップを充実させ、専用クォーツムーブを開発し、機械式も復活させ、セイコーの屋台骨に育ってきたのが現在のGSである、と言えます。

これから先、GSのような「お金を取れる時計」をどうやって増やしていくか、というのが、経営の苦しいセイコーの再生に繋がると思われます。頑張って欲しいですね。


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