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ジュネーブ雑感 by 永福さん 2007.08.03にGSフォーラムにご投稿いただいたものです。


親身に助言していただいたのに、SBGR001購入後、書き込みがなくすみません。6月末にスイス出張のついでにジュネーヴに行ってきたので報告します。

ジュネーヴ(現地の人はジュニーヴァと発音する模様)は、街全体が時計屋のようなところでした。コルナヴァン駅から大噴水にいたる大通りの二軒に一軒は時計屋です。(残りの店の数割はチョコレート屋。「ジュネーヴの石畳」というチョコレートがなかなかいけます。)

パテック・フィリップ、ブレゲ、ヴァシュロン・コンスタンタン、ロレックス、オメガ、ブライトリング、ゼニス等々、最近、時計のブランドの勉強をしていたのは、ほとんどこのためだったのではないかというくらい、よく知ったブランドが看板を出していました。旧市街に行く途中では、アントワーヌ・プレジウソのショップもありました。

なお、私の手には先日購入したSBGR001がありました。最後まで迷ったジャガー・ルクルト・マスター・コントロールと比較しようと、ジャガー・ルクルトのショップへ入り、マスター・コントロールの値段を確かめました。しかし、6700CHFということで、全然安くはないようです。ジュネーヴの時計屋よりも、日本の並行輸入店のほうが安いような印象を受けました。

スイスはだいたい英語が通じます。時計とは関係ありませんが、デパートで靴を買おうとしたとき、担当の店員が英語がまったくダメな人だったので、かなり参りました。数字すらわからないようなので、サイズのちがう靴を出してもらうこともできず。結局、大学時代の知識を振り絞って、仏作文する羽目に...。相手のいっているフランス語はまったく理解できないものの、私のデタラメなフランス語は通じた模様(^^;。何とか、所望の靴が買えました...。

翌日には、旧市街にあるパテック・フィリップ博物館に行ってきました。しかし、なんと午後2時から午後5時までしか開いていないのです。当日の夜、別の街で仕事があったのでどうしようかと思いましたが、かなりムリをしてギリギリまでジュネーヴにとどまって、何とかかんとか拝観しました。

パテック・フィリップ博物館では、まず、最初に、お祖父さんが孫にパテック・フィリップの説明をするビデオを見ることになっています。パテックを持っているようなお祖父さんから、パテックの解説を聞けるような裕福な孫がうらやましいかぎりです。

博物館は、最初に最上階に上がり、順に降りていくスタイルで見学することになっていました。最上階は、パテック氏とフィリップ氏の功績、初期の顧客リスト、帳簿等の展示です。次の階は、パテックにかぎらず、時計一般の展示でした。ルネッサンスより後、王侯貴族がどういう時計を使ったのか、時代を追って説明がありました。時計師ブレゲ本人の作の時計などもあり、感心して見て回れます。

その次の階になってようやくパテック・フィリップ自体の時計の展示になりましたが、やはり、最初は王侯貴族の註文に応じて作った懐中時計です。金の彫刻や、瑪瑙の絵の彫刻など、一見して、王侯貴族の別註品とわかります。意外なことに、ムーヴメントが透けて見えるスケルトン、針のデザインなど、我々が現代的なデザインだと思っているアイデアの多くは、数百年前にすでに実装されていたようです。結局、最近流行のデザインの多くは、古いデザインの焼き直しなのだということがよくわかりました。有り体にいえば、あんまりオリジナリティのあるデザインではない...。

下の階に降りれば降りるほど、王侯貴族の別註品から、だんだん工業製品っぽくなっていきます。パテックの懐中時計、コンプリ時計の展示のあと、ついに腕時計になりました。初期のパテックの腕時計も、私の目には、現在のカラトラバとあまりちがわないように見えます。そういう意味では、パテックのデザインはおそろしく安定しているといえそうです。

現代に至るモデルを順に眺めていくと、最後から二番目の展示が、le japon 3896(?)というような日本市場向けのモデルでした。時代は1989年、バブルの絶頂期。もともと王侯貴族の時計を作っていたマニュファクチュールが、最終的には東洋の島国向けのモデルを作るまでになったということにある種の感慨がありました。

こういうと階級社会主義的かもしれませんが、パテックやヴァシュロンは、王侯貴族の時計だという気がします。いかに社会的に成功して、経済的に購うことができるとしても、それだけで、こういう時計を買ってはいけないという気になりました。土地などからの不労所得から得られる収入で遊んで暮らせる高等遊民が購うべし、というのが私の印象です。相続によって得た金ではなく、自分の手で稼いだ金なら、せいぜいジャガー・ルクルトまでにしておかないといけないような...。ま、四民平等の世の中で、こういう感慨を持つこと自体が差別主義的なのかもしれませんけど。

しかし、我々がパテックやヴァシュロンを着けるのは、何というか、十代の若者がロレックスをつけて自慢げに歩いているような、あるいは、十代の女の子がケリー・バッグを持って歩いているような...そういう違和感を感じます。

歴史を背負ったものを身につけるには、それに相応しいだけの品格が必要で、パテックやヴァシュロンを身につけるにはかなりの教養が必要そうです。ま、フランス語も満足に話せないうちはやめておこうという気になりました(笑)。

パテックやヴァシュロンは、王侯貴族の時計がだんだん庶民的になっていった時計のようです。これに対して、グランド・セイコーは、元々大量生産の工業製品だったもののうち、精度の高いものが選び抜かれて高級時計になったものだと思います。そういう意味では、アプローチというか、ディレクションが真逆のブランドではないかと感じます。四民平等、階級なき高度消費社会に住む我々は、やはりグランド・セイコーを身につけるべきだと、手許のSBGR001を眺めながら、感慨を新たにしました。


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